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東京育ちの会社員が移住して地方おこし協力隊になってみた/宮崎県小林市移住ライフvol.2

vol.1の記事はこちら>>

東京のサラリーマンが宮崎県小林市にやってきた

東京の1Kのマンションで都会生活を堪能していたサラリーマンの田地祐造さん(当時38歳)。移住を考え始めてから5年ほどで、宮崎県小林市へと地域おこし協力隊としてやってきた。前回の記事では移住するに至る経緯をまとめた。

今回の記事では、小林市の地域おこし協力隊になるまでと具体的な活動の様子、移住者としての暮らしについて、話をうかがった。

地域おこし協力隊に応募 田地さんの活動内容とは?

「小林市で地域おこし協力隊を募集しているのを知って応募しました。書類審査と面接審査があります。応募したのは2013年の6月くらいで、たしか7月末に面接があったと思います。そのあと、結果が出て、晴れて合格しました。協力隊の内定をいただいたので、退職を会社へ申し出ました」

隊員募集の時点で、移住する時期は決められているものなのだろうか。

「目安として9月スタートで募集があったのですが、僕の場合は、どうしようもなくて1カ月猶予をいただきました。でも、他の人たちはちゃんとスタートに間に合わせたみたいだったので、ズルいって感じでした。

このあたりからあんまりルールにとらわれなくなっていきました、きちんと自分の意見と相手側の意見を交換して双方に良い条件を見つける。そういうことを意識するようになりました」

2013年10月、ついに地域おこし協力隊として小林市に移住した。

「地域おこし協力隊になってからは、ひとまず毎日市役所に行って、農家さんや地域の人に声を掛けられるまま遊びに行って小林がどんなところなのかひたすら感じて理解する日々でした。

そんななか、市役所の方から『隣の市でイベントがあるので、出店しませんか?』と話をいただいて。それで、小林市の農産物とか工芸品とか、知り合ったばかりのいろんな人の品物を持って行ってイベントで販売しました。そうしたら、これけっこう面白いなと」

田地さんと同時期に隊員になったのは総勢4名。イベント出店は4人全員での参加だったのだろうか。

「いや、そういうわけではないですね。市役所で隣の席に座っていた隊員の人と出ました。結果的にその方と今は家族になったので運命だったとしか思えません」

隊員はもちろん協力して動くこともあるが、それぞれで活動することも多い。イベント出店を通して、「小林市の素材は売れる」という感触を田地さんは強くした。それと同時に、知り合いも増えていったという。

小林市名物の鶏刺し。小林市は和牛に始まり、 地鶏や黒豚など畜産業が盛ん

農家も多く、さまざまな特産物がある

地域おこし協力隊の活動を通して知り合いの輪を大きくできた

「イベントなどで、いろいろな人と知り合っていくなかで『地域おこし協力隊って何やってるの?』と聞かれるんです。それが名刺代わりというか、『これこれこういう活動してるので良かったらイベントで販売しますか?』と話ができる。そんな感じで僕らのことを知ってもらっていきました」

地域おこし協力隊は3年の任期があり、任期後にその地域に定住して起業することが目標とされている。市役所の方、地元の方との交流を通して、地域が持つ課題を把握し、自身のプロジェクトを探っていく。

「ただそうは言っても、周りの人たちにしたら、『この人たちに何ができるかわからない』と遠巻きに見守られる感じもあるので、自ら積極的に動きます。

初めは物販を中心にしていましたが、それからは“6次産業化”をキーワードに設定して、知り合った農家さんと一緒に商品開発をしたりとか。あとは移住支援の仕事もけっこうあります。移住希望の方に市内を案内して、どんなふうに過ごしているのか、生活の様子を話したり」

移住を検討している人にとって、ほかの街から実際に移住してきた田地さんたちのような存在から話を聞けるのはすごく貴重だろう。

小林市は都市インフラがしっかりしていて暮らしやすい

田地さんは小林市のことを「意外と街なんです」と話す。自然が近かったり、農業や畜産業が盛んだったり、田舎という面はしっかりあるが、学校やスーパー、コンビニもあり、都市としてのインフラはしっかりしている。

「僕はひとりで来たので、田舎すぎないのがラクに感じました。そんなに大きく生活を変えなくてよかったですから。

宮崎県小林市は日本のはずれの九州で、さらにその九州のいちばんアクセスしにくい宮崎の、さらにその山のほうなので、さぞ大自然に包まれるのだろうと思っていたら、意外や意外、5万人弱の人口規模があり、街として機能しているのは都会の移住者から見るとすごくよいところだと思います。

自然も残されているんだけど、街の機能もちゃんとまとまっているんです」

街なかからは遠くに霧島連山が見える

東京から移住して感じた小林市の印象とは

覚悟を持って移住したものの、根づく人もいれば根づかない人もいる。どうしたって土地と人の合う、合わないはあるのだ。

「わかりやすい例が海辺と山沿いの違いでしょうか。ノリも雰囲気も全然違って、海は陽気、山は真面目な感じがします」

海沿いの街から山あいの小林市に移ってきた人のなかには、「閉鎖的な雰囲気がある」「性格が全然違う」という印象を持つ人もいるという。

「僕はここに来て意地悪な人に会ったことがないです。いま住んでいる地区は村社会的なところはあまり感じません。子どもたちと犬の散歩を毎日していますが、みなさん気軽に声をかけてくれて穏やかに見守ってくれている感じです。

あまりグイグイ持論を押しつけられたらイヤになりますけど、そういう人は宮崎は少ない感じ。いい距離感を保つのがお互いに重要な気がします」

近所の方とのもちつきの様子 写真提供:田地さん

また、cazualで取材をしていると「田舎に行くと飲み会が多くて困る」という声をときおり耳にする。

「隣のおうちにも、わざわざ会いに行く感じで、適度に離れているので玄関同士の距離でいうと近くても50メートルくらい? そうするとプライベート感もあります。

集落での集まりも総会が年1回と奉仕作業と呼ばれる住民総出の草刈りくらいです。隣の集落は毎週末、集まって呑んかた(飲み会)があるみたいなので、本当に住む場所で生活が全然変わってきますね。

同じ小林市でも中心部は家が隣接してるので、今住んでいる家と比べると”こんな近くに密集して住んでいるのか!”と驚きます。ちなみに、東京の実家はさらにすごくて隣との距離なんか30センチくらいだったのに……」

田地さん自身、地域に溶け込むために心がけたことはあったのだろうか。

「自分から挨拶する、野菜などをいただいたらお土産をお礼にお渡ししたり、よくお話を聞くなどでしょうか。

取り柄は人当たりが良いこと、と前職の引き継ぎの際に多くの方から言っていただいたのでそれが生きているようです」

【vol.3に続く】


取材・文/george

【PROFILE/george】

茨城県東海村出身の32歳。インテリア雑誌、週刊誌、書籍、ムックの編集を経て、現在Webディレクター。4年前の朝霧ジャムに行って以来、アウトドアにハマる。現在は、アウトドを主軸にしながらも地方移住などローカルトピックにも積極的に関わっている。


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